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加藤清正は、豊臣秀吉の子飼の家臣で『賤ケ岳の七本槍』の一人です。
3歳の時に父を亡くし、当時、秀吉には子がなく、親戚関係でもあり、
虎之助の名称で我が子の様に可愛がったと言われています。
そして、勇猛果敢な武将だけでなく、築城の名人でもありました。
これは、攻城戦の名人、優れた築城者であった秀吉のそばで学んだのが
大きいと言われています。熊本城は反りのある高石垣が最大の特徴で
『武者返し』とも呼ばれ、敵の侵入を防ぐ石垣です。
また、本丸の入口から御殿への至るまでの登城路は、ジグザグに
屈曲し迷路のようで見通しが全くきかず、敵が侵入しても、高い
所より狙い撃ちでき、全滅必死です。
清正の死後、明治10年、西南戦争で西郷隆盛が熊本城を攻撃しますが、
50日以上に及んだ籠城戦の間、一人も城内に侵入できませんでした。
西郷は『おいどんは官軍にまけたのではない。清正公に負けたのだ』
と言い放ったそうです。
熊本城は外観も勇壮ですが、上記のように軍事施設としても評価も高く
”日本三大名城”に数えられています。
球磨川は最上川、富士川と並ぶ日本三大急流の一つです。
水上球磨郡より流れ、人吉盆地、八代平野、八代海(不知火海)
に至る熊本県最大の一級河川です。
鮎や川下りは有名ですが、球磨郡や人吉地区は豊富な水量と
優れた水質、そして、米の品質も高く米焼酎、球磨焼酎の生産
は、400年以上の歴史があります。球磨焼酎の特徴は芳醇な香り、
深いコクで、この地域には27の蔵元があり、日本には4つしかない
産地呼称が認められた本格焼酎のブランドのひとつになっています。
阿蘇山は典型的な二重式の火山です。阿蘇山と言えば、阿蘇五岳を
中心とした東西に伸びる連山を呼ぶことが多いですが、広い意味では
外輪山や火口原も含めた呼び名です。
外輪山は南北約25km、東西約18km、周囲約128kmで世界最大級の
火山です。火口原には約5万人が生活していて、田畑が開け国道、鉄道が
通り、阿蘇市、高森町、南阿蘇村の3つの自治体があります。
そして、阿蘇は火の国熊本のシンボルです。
阿蘇山は外輪山の内側が中心として、阿蘇くじゅう国立公園に指定されて
おり、温泉や観光・レジャースポットが点在する有数の観光エリアで、
夏になると多くのライダーがツーリングに訪れる。
熊本県は有明海、八代海、天草灘の三つの海に面しています。
有明海は九州最大の湾で、長崎県、佐賀県、福岡県、熊本県にまたがり、
南は八代海につながっています。流入河川は九州最大の筑後川を代表に
、十数の川が流入。日本全体の干潟の4割相当で、独自の生物も多い。
八代海は九州本土と天草諸島に囲まれた内海です。熊本県と鹿児島県に
またがり、最大流入河川は球磨川です。旧暦の8月1日に深夜の海上に
現れる不知火から”不知火海”とも呼ばれています。
天草灘は長崎県南部、鹿児島県北西部、熊本県西部にまたがる海域です。
沿岸は奇岩、海食洞、岩礁が連続し、雲仙天草国立公園の富岡・天草・牛深
の3海中公園、風光明媚な海岸でしられる、天草下島の妙見浦などもあり。
また、ミナミハンドウイルカの群れが生息し、イルカウォッチングも
行われている。
早崎瀬戸は、長崎県島原半島と熊本県天草諸島の間の海峡で、早崎海峡
とも呼ばれています。干潮の差の激しい(最大6m)有明海の入り口に位置し
潮流が早く、日本三大潮流に数えられています。水深最大150m、潮流最大
8ノット(約15km/h)。プランクトンの発生が活発で魚の餌の宝庫であり
多くの魚種が集まる絶好の漁場が形成されている。主に真鯛・アラカブ(かさご)
・伊勢エビ・ヒラメ・ブリ・カワハギ・アジ・真ダコ・アオリイカなど。
その中でも特に、タコは漁獲量、味ともに天草を代表し、町づくりの一環に
なっており、天草有明町では、国道324号線は「天草ありあけタコ街道」と
呼ばれ、夏には”干しだこ”が街道沿いや海岸で見られ、風物詩になっています。
飲食店や民宿では、タコ刺し、タコメシ、タコ天ぷら、タコステーキ、たこ天丼
などタコ三昧の料理が味わえます。天草のタコは身が引き締まって美味しいと
評判です。早い潮の流れ、そして、豊富なカニや貝を食べているからとの事。
美味しいタコと言えば「明石のタコ」が有名ですが、実は明石では昭和38年
海水の冷害で、タコは一度絶滅しています。その際、天草より3万7千匹、
10トン以上のメスダコを明石まで運んで放流!現在の全盛の「明石のタコ」は
の起源は天草になるそうです。私は明石ダコの大ファンですが、まさか
こんなタコヒストリーあったとは、ビツクリ(笑)