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明治5年(1872年)、横浜に蚕の買付けに行った、二見庄兵衛氏が、
外国人より”南京豆”を数粒もらい栽培したのが始まりです。その後、
改良にて近隣でも栽培が広がり、その生産は大いに高まり、明治41年
には農商務大臣賞の銀杯を受けています。そして、大正期には、横浜
からアメリカ方面に輸出されるようになり、二宮駅は落花生の集散地
になりました。その後、戦争により落花生の生産が中止になり、衰退
して行き、秦野や千葉県などに栽培は移行してゆきます。しかし、
長年にわたって培われた製品としての二宮の落花生は、その味の良さ
は根強い人気で、神奈川県の名産百選に指定され、全国に知られています。
1906年(明治34年) 湘南馬車鉄道として開業
二宮ー秦野(9.0km)
二宮-中里-一色-下井口-上井口-大竹-台町-秦野
1913年(大正2年) 湘南軽便鉄道に改称
1918年(大正7年) 湘南軌道に改称
1927年 小田原急行鉄道開通
1937年(昭和12年) 全線廃止
太平洋戦争終結直前、昭和20年8月5日、二宮駅周辺で米機P51の
機銃掃射を受け、幾人かの人が命を失いました。東京では、空襲で母や妹を失い、疎開先の二宮に迎えに来てくれた父も、ここで失った12才の小女の戦争体験記です。手にしている”ガラスのうさぎ”は、ガラス工場
を経営していた、父が作った物です。毎年、8月にはたくさんの千羽鶴
が飾られています。この像には平和の願いが込められています。
『ガラスのうさぎ』(高木敏子さん著)
江戸時代、1664年頃、中国人の子孫で小田原のういろう商人、崇雪は
創設した”鴫立庵”に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、「湘南」の起源と言われている。「ああ、しょうなんせいぜつち」と読み、“清らかですがすがしく、このうえもない所、湘南とは何と素晴らしい所”という意。大磯の「鴫立沢」付近のこの景色は、中国 湘江の南方 一帯の ” 湘南 ”の美しい景色に、似ている事が”大磯が湘南の発祥地”と言われる所以で、又、海水浴場も大磯が最初といわれています。
次に、二宮ですが”湘南二宮”、これは人によっては
湘南ブランドを”言ったもん勝ち”的に捉えている人もいます。実は
私も以前はそうでした(笑)しかし、二宮の歴史の中で、百数十年前より”湘南二宮”が存在していた事が、湘南馬車鉄道、湘南軽便鉄道、湘南軌道を知り、分かった次第です。産業や交通の要所であった
”湘南二宮”。これを知っていれば”湘南論争”は勝てます(笑)
そして、元西武鉄道グループのオーナー、堤義明氏や萩本欽一の
邸宅もあります。温暖な気候や、山や海の自然環境、豊かな農作物など
穏やかな生活が送れます。今は”長寿の里”と呼ばれています。(笑)