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社号標、そして、一ノ鳥居。後方に見えるのが吾妻山。
国道1号線の吾妻神社入口信号より少し奥に、一ノ鳥居があります。
手前の社号標の神社名の上に、吾妻村梅沢の表記。1935年(昭和10年)の
町制前は吾妻村でした。葛飾北斎の富嶽三十六景では「相州梅澤左」として
描かれています。梅澤は東海道大磯宿と小田原宿の間にある宿で、茶屋が
並び休息所として繁盛しました。
葛飾北斎の富嶽三十六景、「相州梅澤左」
「梅澤左」は「梅澤在」か「梅澤庄」の誤りと考えられています。
なんだか、北斎が親近感を持って身近に感じられる(笑)
梅沢の地名の由来は、梅の木でなく、海岸にたどり着いた弟橘媛の
櫛を”埋め”た地、から来ています。現在は山西という住所ですが、
今でも梅沢、梅沢地区と言う方も多く、この辺りの海岸は梅沢海岸と
呼ばれています。また、弟橘媛の袖が漂着した海岸は、現在の二宮駅
付近で、袖ヶ浦海岸と呼ばれています。ケッコウややこしいです(笑)
吾妻山に向かって進み、JR東海線の陸橋を渡る。
陸橋をおり道路を渡り、吾妻山梅沢のぼり口へ
石段を上がると鳥居、そしてその奥には、小さな社。
その社は”神明社”、祭神「天照大神」を祀ってあります
社殿の右側には五輪塔、石祠。左には道祖神、地神、馬頭観世音、
地蔵菩薩等の石塔、石仏が祀られています。
神明社の右脇の参道。役場口からの登りに較べ、全体的に木々に覆われて
おり、人も少なく静かなので、厳かな雰囲気が感じられます。
随所に紅葉が少しですが楽しめます
九十九折の参道には、休息用の椅子等も数ヶ所にあり、年配の方への配慮が
伺えました。
二ノ鳥居と社殿。
参道はほとんど木に覆われていたので、雲ひとつない青空が映えます。
社殿は相模湾(南)に向いています。朱の高欄を巡らした入母屋造りの拝殿
古い歴史を持つ神社で、創建は第12代景行天皇の時代です。
現在の社殿は昭和の初めに設計され、18年に完成。その設計者は平安神宮、
明治神宮、築地本願寺などの建築作品のある伊東忠太です。
社殿正面下より
社殿西側下より
鬼瓦、賽銭箱に神紋「桐」
東側からの社殿と本殿
北側より本殿。
彫刻は横浜の小林直光の作。大変、凝った造りで驚きと感動です。
今までに、数回は吾妻神社には来ていますが、さい銭を入れて、ただ拝むだけ。
それも吾妻山の山頂の景色を見るついでに、寄っていました。
今回、吾妻神社の由来や二宮の歴史、そして、神社の社殿の設計等、日本の
古建築の第一人者が携わった事など考えると、感慨深いものがあります。
鳥居の向こう側には相模湾
木々に覆われているので、神社からは相模湾はほとんど見えませんが
隙間から海の輝きや匂いが感じ取れます。多分気のせいでしょうが
一瞬、弟橘媛が優しく、ほほ笑みかけてくれた気がしました(笑)
次回は、紅葉の川勾神社、早詣り偏です。