インフォメーション
最近、京都の観光地として、良く耳にするのが『錦市場』です。
実は、まだ一度も行った事が無く、何処にあるかも知らない程でした。
さすがに、怪しいとは言え”美食倶楽部”、”見聞食”を名乗るのなら
一度は行ってオクベキかと、行って参りました(笑)
”市場”というイメージだと、市街地より離れた場所にあると
一般的には、思いがちです。
実際、行って見て驚いたのは学生時代に何十回歩いたか分からない
寺町通り沿いに、錦市場の入口があったことです。
入口には”錦”と書いてある看板表示しか見えないので、この先が市場
とは判断しづらいので、そのまま通過していたかと思います(笑)
錦市場は、”錦市場商店街”が正式名称です。卸し市場ではないので
気軽に見学、買い物、イートインが出来て、楽しめます。
東西に390m、店舗数が130店舗ほど。
京都の隣接都道府県 6県
錦市場を歩いて、感じたのは京都のお野菜、漬物やおばんざいは勿論、
隣接県からの食材、さらに全国からと、食材の豊富さです。
市場の起こりは平安時代で、新鮮な魚を京都御所に収める店が集まり
始めたことで、1300年の歴史があるそうです。
そういう事情もあり、鮮魚を扱う店は20店舗以上、琵琶湖の淡水魚類
福井の鯖、甘鯛類、淡路のハモなどが、店頭では目立っていました。
鉄道、車もない時代は、福井県の小浜より、サバや魚類を行商人が
担いで、徒歩で京都まで運ばれその道は、”鯖街道”と呼ばれました。
牛肉串を、樽テーブルにて一杯、美味しそう。
京野菜がずらり。万願寺、伏見とうがらし、加茂なす、京丹波黒大豆枝豆
ハモの湯引き、子持ちイカ、その後ろはうなぎ、ばい貝かな?
京丹波の新栗 試食にお茶で賑わってました
伏見稲荷でも、販売されてた”すずめ”です。チョト無理かな。
鮒寿し、懐かしい。2年程前、”徳山鮓”さんで食べました。
子持ち鮎の塩焼き。これは、日本酒、一択。
若狭 甘鯛の塩焼き 美味しそう。これは一度食べてみたい
越前ガニ、松葉がにのどちらか
この品揃えは凄いの一言。
”京の台所” 納得です。見るだけでもお腹一杯になりました(笑)
次行くときは、イートインで一杯やりたいものです。
残念ながら〇〇〇〇は時間がないため、1月に持ち越します。
次回は、兵庫県・明石編です。
京都二日目は嵐山に向かいます。
伏見が青春の想い出の地なら、嵐山は社会人スタートの地です。
昔から、『京都の着倒れ、大阪の食い倒れ』という言葉があります。
その当時、就職活動をする中、やはり、テキスタイルや服飾関連
の企業が多いこともあり、柄にもなくファション業界に憧れ、何とか
その中の一企業に就職(笑)そして、新人研修を受けるのですが、
その場所が、嵐山の天龍寺でした。希望の勤務地は、東京で研修後は
すぐに現地へ行くことになっていたので、不安と希望の研修でした。
3泊4日、寺に泊まり込み、早朝より桂川沿いを走り、そして、体操
し、その後、一時間座禅を組みます。さらに、午後、夕方も組み
座禅三昧の研修でした。食事は精進料理、食器などは自分で洗い
当然、お酒も飲めません(笑)足は痛いし、3日目頃までは地獄
のようでしたが、最終日の4日目は、不思議に”無念夢想”の境地が
少しだけですが理解できたかな(笑)当時、天龍寺に関しては、
少し大きい寺だという程度の認識でしたが、平成6年(1994)に、
世界遺産になった時は、仰天すると同時に、嬉しさや懐かしさを
強く感じたものです。
世界遺産になってからは、2度目、約15年ぶりの訪問です。
達磨図 (拝観入口)
達磨は禅の開祖。天龍寺・前住職の平田精耕老師の作
大方丈 襖の雲龍図 物外道人画伯作(1957)
他に別料金にて、法堂の天井画の雲龍図、拝見できます
小方丈からの建物内部と庭園
不思議なもので、綺麗に座ってる人の姿を見ているだけで、心が落ち着くものです
渡り廊下の先に多宝殿
多宝殿
40数年前に新人研修をここで受けました。男女合わせて15,6名程(懐)
この廊下や階段あたりで、休息時、ダベッテたな。
3泊4日で、座禅や研修内容、食事などに応じて色々移動した記憶はあるが
研修中は大方丈や小方丈には行く事も、見る事もなく、こんなドデカイ
寺という認識は全くなかった(笑)
野宮神社
源氏物語の舞台にもなり、『縁結び&悪縁切りの神様』として、女性から大人気。
竹林の小径
寺の境内から出る時は、朝6時頃でほぼランニング、又は、体操だったし、
こんな風情があり優雅な小径だったとわ(笑)
嵐山公園を下り桂川へ
川沿いを少し歩くといい風情の店が
天気にいい日は、こういう店が最高(亀山家)
川から船客の楽しそうな声が聞こえてくる。天気も良く、いい風を
感じながらの”昼飲み”、最高です。
天ぷら盛り合わせ
えびが2本に、かに、1200円でコスパよし。
紅葉にはまだまだでしたが、逆にゆったり出来て良かった
阪急嵐山駅
来る人、帰る人で賑わっていました。
嵐山、山も良いけど”川”も、そして、”寺”も良し
次回は、錦市場と〇〇〇〇です。
いよいよ、ですが朝、晩が寒くなり冬に突入です。
スーパー等ではすでにクリスマスの装いで、年末が
近づいて来たなと感じるこの頃です。
今月は明石、淡路島の魚料理の温泉旅館へ行って
きます。いつもビジネスですが、たまには宿で
食事もいいかな(嬉)
9月、熊本へ行った際に食べたかったけど食べれな
かったモノがあります。厳密に言うと一切れだけ食べ
ました(笑)台風さえ来なかったら、と悔やまれます。
今回は、それを食べに明石を訪れることに。
それはもちろん”タコ”です。さらに、明石と言えば
やはり“鯛”です。それを両方食べれる料亭旅館が
運よく、一人宿泊で取れました。
さらに、ここまできたら淡路島も行くしかないと、
鳴門渦潮が見れるみなみ淡路の料理旅館も予約。
こちらは、みなみ淡路に住んでる姉、甥っ子
と一緒に宿泊予定です。
高瀬川
渚ゆうこの『京都慕情』では ”夕焼けの高瀬川”として歌われています。
『京都の恋』、『京都慕情』とどちらも京都を代表する曲で、この曲を
聴いて京都へ行って見たいと子供の頃、想ったものです。
この2曲の作曲者をご存じでしょうか。
意外ですが”テケテケ”のギターで有名な、ベンチャーズです(驚)
ベンチャーズは、他にも『二人の銀座』、『雨の御堂筋』も作曲してます。
高瀬川の脇の通りが木屋町通り
京都の二条~五条までの高瀬川の川沿いの通りです。材木商や材木問屋
が軒を並べたので、木屋町と呼ばれるようになる。木屋町周辺には材木町
、紙屋町、鍋屋町、米屋町などの地名が残っている。
先斗町
鴨川と木屋町通りの間にある花街及び歓楽街。マヒナスターズの『お座敷小唄』
(1964年)で全国に知られるようになる。20数年前に、数名で来た事あるが
一人では初めて。数年前に来た時、一人で入ろうとしたが、店数も多いので
迷った挙句、三条~四条間を二往復し、結局、先斗町じゃないところで飲食(笑)
今回は、そんなことにならないようYouTube等で下調べにて、店も一択で
決めてきました。
京のおうち割烹 『月をみ』
いい感じの玄関 右うえに杉玉あり、オーナーは酒造関係者かも
お品書き
日本全国からの食材 価格も程よくいい値段です
鴨、ポーク、牛、鶏、料理のメニュー
さりげなく、写真付きで見開きで見やすく紹介されています。
今日も一番のりです。カウンターは奥行きがあり広いです。
先ず注文したのは、京丹波 黒枝豆、そして、お造りでお好み三種盛です
突出し、クルミ豆腐、(菊の花)
北海道産・ぶり、青森・本まぐろ、石川・紋甲イカ (菊ともみじ)
三種とも上物です。美味い!
京丹波・黒枝豆 塩ゆで
日本酒のメニュー、銘柄だけの表示でなく、写真付きはイイ感じです。
グラス100cc, 徳利小140ccより後者を選択しましたが程よい量です。
伏見だけでなく、京北、京丹後、上京、左京、城陽、宮津と京都の酒蔵の
多さ、酒造りが盛んなのが分かります。左下には黄桜の酒仕込みに使用
する伏水、そして、俳優、佐々木蔵之介さんの実家の佐々木酒造のお酒も
ありました(笑)
私は、宮津”酒吞童子”、伏見”花洛”を徳利でいただきました。
それぞれ、味わいがあり美味しかったです。
京都野菜天ぷら
盛り合わせだと、これで満腹なりそうなので、3品選択にて揚げていただきました。
丹波・大黒しめじ、丹波・京加茂茄子、南丹・亀岡南瓜
三品とも”絶品”でした。京野菜の天ぷら最高です。
おばんざい 厚揚げ生姜煮
程よい味付けが絶妙の逸品でした
さりげなく、柿で秋の演出 奥にはお皿や食器類がずらり
入店後、15分程でカウンターは満席に。周りはリピーターの方がおおいようで、
『ここのこれが美味しいだよ』の会話が聞こえる。
内心、いい店を見つけた感があり。周りの方も、そうなんだと
納得した次第です。
長崎 うつぼの炭焼き
さて、最後にメインの品を検討。鱧も美味しそうだけど、滅多にメニューでは
見ない”うつぼ”に決める。以前、二宮”カイズキッチン”でうつぼを干して、揚げた
のを食べたことはあるが、炭焼きは初めて。
身も美味しいけど、皮もイイ。皮の表面の”うつぼ”模様と厚いゼラチン!?
念願の”うつぼ”、まさか、先斗町で食べれるとは思わなかった(笑)
精力もつくし、健康にも良く、高知県ではよく食されるようです。
来年は、カツオ、そして、ウツボ料理の高知へ、20数年ぶりに行って
見るかな。『たまには、土佐にも顔だせよ。龍馬通りでもよかぜよ』と
龍馬のアニキも言ってそう(笑)面白いよね、つい2時間ほど前に、
伏見の”龍馬通り”通って来たばかりだから。
以上の料理に、瓶ビール、お酒2本で8000円チョットでした(嬉)
来春、桜の時期にまた、来ようと。桜の京都は、12、13年ぶりか(懐)
さて、次の店はやはり、鉄板系で締めたいので、祇園へ向かう。
すなぎも
メニューでは”すなづり”です
ベタ焼のミックス
お好み焼きは具と生地をかき混ぜるが、ベタ焼は広島風に生地で層を造ります。
広島風で”そば”が無い奴です(笑)
この店のいいところは昭和風な温かい雰囲気。そして、ギチギチの席で隣りと
密着するほどなので隣との会話やコミュニケーションが自然にできることです。
左隣は、地元京都と大阪から来た若い娘。エスカレーターの場合は東京や神奈川
では左側は停止、右側を歩く。大阪だとまるっきり、反対になります。
”京都はどっちなの”と聞いたら、”特に決まっておらず、前の人に合わせる”との事。
京都らしいと大笑いしました。
右隣は姉、弟の兄弟。姉は同志社OBで、逗子から来ていて今日で、京都泊7日目
との事。京都は本気で観光したらそれぐらいは行きます。自分が昔、京田辺に住ん
でて、その後、同志社が京田辺に移転した事など、普通あり得ないと談笑。
右側の写真に注目。マスターがカワイイ外国人と男の子映った写真。
ケッコウ、場所柄や、店の魅力もあり外国からの来客やリピーターもあるとの事。
写真の男の子はこの店ファンだったらしく、はちまきのマスターと記念に撮った
らしいが、その二人があまりにも対照的で怪しく、アブナイ関係とみんなで大笑い。
店の造りやスペース的なものもあるが、やはりマスターや女将の人柄かな。
それに、美味しいのは勿論、メニューも豊富。私も4回目です(笑)
瓶ビール、ハイボール、料理2品で4000円程でした
次回は、11月月替わりマルチボード、次々回は嵐山、天龍寺、錦市場です。
午後1時頃、先ほど通り過ぎた、”鳥せい”さんへ
こちらは清酒『神聖』酒蔵の一棟を改装されたもので、中に入ると
情緒たっぷりの空間です。すでに満席で、受付にて氏名を記入にて
順番待ちです。普通の串焼きから、会席料理までメニューは豊富
です。
しかし、よくよく考えると、京都で”焼き鳥屋”に行くのはもしかして、
初めてかも。学生時代を想い起こしても、炉端か鉄板系か王将系で
焼き鳥屋の記憶はほぼ無し。そして、今でも関西に来るとどうしても
鉄板系に行きたくなるから(笑)
今日は、朝からケッコウ歩いているので、格別に美味い(笑)
tお
伏見の歴史 ちょこっと! 「黒田節」
各テーブルには、このような豆知識が。しかし、福岡出身の私の所に「黒田節」が
来るとは面白い。時効だから言うと、高校時代より、学園祭や体育祭の打ち上げ
をやると、お酒が入り、コップやデカイ盃で”一気飲み”。
これで、男の器量を示すような風習がありました。この歌の影響大です(笑)
合鴨スモーク
店長のお薦め”6串盛り合わせ”1020円を注文
店の特長としては、串ごとに”たれ”、”塩”と最初から決まっています。
個人的にはいつもは”塩”のみですが、たまには”たれ”もいいかな。
先ずは、”たれ”の串、4品出てきました。
左より、とりねぎ(ネギま)、やきとり(もも),しんぞう(ハツ)
ミンチ(つくね)。名称が関東と違うのがイイ(笑)。
利き酒セット
かわ、すなずり(すなぎも)の”塩”2串が出てきました
追加で、手羽先、三角(ぼんじり)を注文
店内模様
昼間から満席で、活気を感じるお店でした。酒蔵の中、そして、蔵元が
経営する”鳥料理”、味も良く、庶民的価格、納得の人気店でした。
橋を降りると十石船の乗り場です
十石船は江戸時代に淀川を酒や米、旅客を運んだ船。
酒蔵に柳が映える宇治川派流を約50分で往復します。
待合室 イスにはナンバーが振ってあります。
また、一番のりです(笑)
下船
乗船 特等席です
さて、乗船案内 そして、出発です
右手に酒蔵が見えて、イイ風景です
坂本龍馬が襲撃された船宿、「寺田屋」の前辺りを通過
残念ながら建物は見えません
龍馬とお龍の銅像
柳、そして、桜並木と風情あり。風が心地よい。
桜の咲く頃は、出港の3時間ほど前から順番待ちの行列ができるそうです。
川の合流地点で川幅も広い
三栖閘門が見えてきました
ここで、一旦下船
三栖閘門資料館
三栖閘門は1929年に完成。
淀川の改修増補工事より、伏見港と宇治川との船の通行ができなくなり、
その為に、通行できるよう宇治川と豪川との合流点に三栖閘門が建設
されました。完成した年には、2万隻以上もの船が閘門を通航したそうです。
京都の桂川、鴨川、宇治川、木津川が合流し淀川に
木津川沿いに京田辺市、京都で最初に住んだのがこの町でした。
隣接する枚方市、交野は大阪です。そんな地域性もあり、話す
とほぼ言葉は河内弁でした(笑)当時漫画では『花の応援団』、
歌だと『河内のおっさんの唄』などが大ヒットしていた(懐)
2年後、京都の伏見稲荷へ、下宿は琵琶湖疎水に掛る稲荷橋を渡り
すぐ、左へ行ったJR奈良線の線路沿いでした。
そして、就職で東京に。そして、7年後、転勤で大阪に戻り住んだのが
淀川区塚本。大阪駅より神戸方面に向け、淀川を渡った一駅目。
休みの日は、淀川の土手を散歩したり、早朝ジョギングなどした事も(懐)
京都、大阪を結ぶ船の要衝の伏見に住んでいた事、そして、今日、十石船に
乗った事など時代が回っていて、運命的な不思議な巡り合わせがアルなと
この地図を見ながら感じた次第です。
緑豊かで、遠い昔を偲ばせる宇治川
資料館の見学終了後、再度乗船
帰路は後部席
船頭のオジサンと世間話。桜の時期は物凄い行列ができるとか、30年程前から
十石船が運行を再開したとか。40数年前は伏見稲荷に住んで、”龍大生”だったとか。
そんな中『あんた、柔道九段の”〇〇”にそっくりや。”〇〇”来たかと思ったわ』
”龍大”は警察関係多いと言ってたから、〇〇は龍大卒の警察の方かも。
それにしても、人違いとは言え、”柔道九段”に似ているとは、少し嬉しい(笑)
ちなみに、柔道はケッコウ強かった。柔道部以外には負けた記憶なし。
高校時代、校内柔道大会があり、3勝1敗1分け。1敗1分けが柔道部でした。
※龍大は、龍谷大学のこと
次は桜の時期来て見るかな
下船後、寺田屋へ向かう
寺田屋
坂本龍馬、そして、楢崎龍、両方とも”龍”の字の男女のカップル、夫婦は
そうはいない。襲撃されたのがキッカケで二人の仲が深まり、結婚に至る
ことになるのも龍馬らしい。この後、西郷の手引きで、鹿児島の霧島へ
湯治へ行きますが、これが新婚旅行の始まりとされている。
高校時代、大学時代、社会人と3度、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を読みました。
改めて、龍馬と伏見の関係を認識すると同時に、自分が選んだ訳ではないが
京都の伏見にある”龍”の字のつく大学に通い、又、昔は船が通っていたすぐ
川沿いに住んでいました。大学を卒業し、京都の服飾関連の会社に行くのですが
その時、新人研修が3泊4日で、嵐山にある”天龍寺”でした。
京都、屈指の観光地と桂川沿い”龍”の字つく寺、不思議な巡り合わせかも。
研修後は就職地の東京へ向かったので、今でも忘れられない思い出です。
龍馬については、天下の英雄でなく、”龍”の字のつく気さくな”兄貴”として
私の心の中に生きています。
龍馬通り
1994年に、南納屋町商店街を改め、龍馬通り商店街に。
良さげな呑み屋、ケッコウありました。
この日は、先斗町で飲むと決めていたので、心を鬼にして
通りすぎました。
カッパカントリー
日本酒だけでなく、日本で初めての地ビールレストランで、出来たてが
飲めるそうです。そして、豊富な和食メニューとの事。
大手筋商店街 納屋町
今回は、お昼の"やき鳥”でしたが、色々と楽しく、美味しそうな店が
揃っています。来年、桜の季節に行ってみるかな(笑)
次回は先斗町『月をみ』、祇園『かな』を紹介します。