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8月7日が立秋。お盆を迎えて30度越えの日々は続いてますが
朝、夕と少しづつ秋の気配が感じられるようになってきました。
8月って、祭りイベントが多い。コロナは史上最高の感染者数を
各地で更新中だけど、工夫や対策を取りながら、実施されている
のは嬉しい限りです。
その中で、やはり注目度高いのは全国高校野球大会、
熱闘甲子園かな。青春、汗と涙、感動とロマン。
今年は3年ぶりに、応援団、ブラスバンド、チアリーダーも
揃い、華やかなで熱い戦いが繰り広げられました。
特に、郷里や地元、隣県の高校の試合だと、熱くなります。
そんな試合を、ビールで一杯やりながら観戦は最高です(笑)
わが福岡代表、九州国際は2回戦で敗退。そして、隣県の熊本
代表、九州学院、九州勢で唯一ベスト8でしたが敗退。
そんな中、ほぼ九州(笑)と言われる隣県山口代表、下関国際が
優勝候補の大阪桐蔭、続いて近江も撃破し決勝へ。
決勝は仙台育英に敗れましたが、夢と感動を与えてくれた
本当に素晴らしい、鍛えられたチームでした。
ほぼ九州と言いましたが、これはほぼ事実です(笑)
北九州市の門司駅から、下関駅までは電車で6~7分程です。
天気予報だと九州北部、九州山口地区という呼び方もあります。
関門海峡
関門は、下関(馬関)と門司から取った名称で、最狭部650m程。
江戸末期、明治維新の雄藩、薩長土肥。山口は長州、鹿児島は薩摩、
佐賀が肥前。九州山口の名称は、歴史的な意味合いもあり、現在も
『関門都市圏』として、海や県を超えた結びつきがあります。
下関の城下町長府
私の母の実家が北九州の小倉でした。そして、その祭に、下関の長府の
叔母の家にも、何度か小学校低学年の頃行ったものです。
長門の国府があったので、長府の名称。歴史やロマンに溢れた風情や
街並みは子供心に、ここは”特別な場所”に感じました。
乃木神社
大日本帝国陸軍大将、乃木希典を祀った神社です。
日露戦争を勝利に導いた英雄です。そして、明治天皇の崩御後、
妻と一緒に殉死。東京・赤坂にも乃木神社があり、そこから、”乃木坂”の
の地名や名称がきています。
功山寺 高杉晋作回転義挙像
長府毛利家の菩提寺。高杉晋作が遊撃隊、力士隊を率いて挙兵した功山寺。
この寺から幕末の動乱の幕が開かれました。
壇具川
神功皇后が出陣の祭、ここに壇を築いて祭事を行い、それに使った道具類を
流したという故事にちなんで壇具川と呼ばれています。
すぐ先は海(周防灘)で、子供の私はこの川で2~3時間程、かに、魚など
取って夢中で遊んでいた記憶があります。
そして、叔母の家は風呂が特別で、五右衛門風呂でした(笑)
色々と、特別な場所として、思い出される下関長府。
機会があれば、50数年ぶりですが、又、ぜひ、行って見たいものです。
そして、”ふぐ”や海鮮料理など食べて、一杯やりたいものです(笑)
ここに来ると、母はお土産にいつも、”フグ茶漬けの素”を買って
いたのが思い出されます(笑)
【下関】城下町 長府【長府】 - YouTube
【山口県下関市】朝から唐戸市場でお寿司ざんまい♪【祝5万再生】 - YouTube
天正18年(1590年)4月3日より、小田原城包囲の戦いが始まる
秀吉の本隊は箱根湯本の早雲寺に本営が置かれ、早川が自然に、
両陣営の境界線に。こののどかで、閑静な土地に、とんでもない
数の武将、兵士が集結される。
小田原城 と 石垣山城の位置関係
早川の東に小田原城、西に石垣山城があります。
当時の小田原城は地上38.7m、石垣山城は標高262m程、
距離にすると2.8k程の位置でした。
また、一夜城と言われてますが、実際は、2カ月半程の工事でした。
その種明かしは、小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の
木を伐採し、北条側には一夜にして築城されたかのように見せて、
驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を狙ったもので、一夜城の名は
それに、由来したものです。
小田原合戦の攻囲陣立図
総構により中世最大の規模を誇った小田原城には約6万人が立て籠る。
豊臣方の軍勢は水陸合わせて約22万。現在、小田原市の人口は約19万人です。
両勢力を合わせると、総勢28万人の侍がこの小田原に集まった事になり、
それは、壮観だったかと思います。
徳川家康らを先鋒とする秀吉の本隊は東海道より、前田利家、上杉景勝率いる
北国勢は上野国(群馬)から北條氏の領国に侵攻。長宗我部元親、九鬼嘉隆らの
率いる水軍が兵員や物資を搬送し、海上封鎖に従事した。
織田信雄、蒲生氏郷、羽柴秀次、宇喜多秀家、池田輝政、堀秀政、黒田官兵衛、
石田三成、細川忠興など、名だたる戦国の英雄が小田原に集結。
北条家と同盟していた伊達政宗は秀吉の兵力を目の当たりにし、その同盟を
破棄し秀吉側に付き、北条家は完全に孤立。
秀吉の本隊は、最初は北条氏の菩提寺で、箱根湯本にある早雲寺を本営として
いたが、石垣山城が6月26日に完成し、秀吉は6月28日に入城。
そして、数日後の7月5日に氏直は開城して降伏している。
小田原城を見下ろす石垣山に、関東初の近世城郭の威容を誇った『一夜城』の
完成が、北条側に降伏を決断させ、同時に、秀吉の天下人として名を上げ、
天下統一を実現させたと言っても過言ではないのです。
今まで何回も登っていますが、マムシに出会ったことはありません(笑)
登り易いよう、整備されています。
二の丸跡、きれいな芝で、イベントや季節の催し等あり
木々の間より、小田原市街を望む。小田原城を探すが、分からず(笑)
小田原も高層ビルやマンションも増えている昨今です。
城が築かれる前は、笠懸山だったそうです。
ここは本丸。標高260mはビルにすると地上48階建てのビルに相当します。
そんな高い所に城、建物があるという事が、当時、約430年前にはあり得ない事。
そして、30以上の戦国大名と22万人の兵士を集めて、小田原に集結させるとか
これもあり得ないこと。
広大な相模湾、眼下には駐車場、そして右手に『一夜城Yoroizuka Farm』
『一夜城Yoroizuka Farm』
昔は自動販売機しか無かったので、城趾を見た後はすぐに帰るパターンで、
ほぼ歴史に興味ある人がほとんどでしたが、今はスィーツ、パンの購入、
または食事等を楽しみに来られる人も増えきて、賑わっています。
火、水曜日が定休日のようなので、”食”を楽しみに来られる方はご注意ください。
この日、実は、うなぎ『友栄』さんの後に寄ったので、おなか一杯で
ソフトクリームのみ頂きました(笑)
開店には、時間が有り余っていたので、店の脇の早川を散策
作家の夢枕獏さんは小田原出身で釣り好きで有名、早川の淵に棲む60センチを
超す巨大鮎にに取り憑かれた男達の姿を描いた傑作小説『鮎師』の舞台となった川。
酒匂川とは違った、不思議な魅力や雰囲気のある川です。
この日も、鮎師達の姿を数人見かけました。自然がまだ残っているというか、
手つかずというか、気軽に川辺に降りれるとこは無い様子。
また、店は小田原の風祭にあり、国道1号線を箱根方面に進み、風祭駅前の鈴廣より
300m程先の左手にあります。そして、すぐ店のわきを早川が流れています。
風祭と言えば、忍者、風魔一族の発祥の地と言われています。
忍者に憧れた、元少年にとって、この地は歴史やロマンが感じられます。
風祭駅は、電車だと箱根登山鉄道より、小田原駅から2つ目の駅。
駅を降りると直ぐに、かの有名な”鈴廣”かまぼこ博物館があります。
以前は、正月の箱根駅伝の小田原中継所があったところで、箱根への
玄関口でもあります。
店頭のメニュー。うな重、そして、できれば人気の”きも”も頂きたいところ。
開店40分程まえに、電話がきて。注文の確認あり、うな重と”きも”を予約。
すでに店頭の駐車場は当然、満杯。満車の時はハス向かいにある第二駐車
に止めるようです。
ナント、開店まえに店頭にこの”品切れ終了”の看板
さすがの人気店です。テークアウトもやっているのでこういう事もあるんですね(笑)
開店10分程、前にアナウンスより店内のカウンター席へ。
壁でなく、明るく近隣の緑が見えていい雰囲気。そして、寄木細工模様の
テーブルもオシャレです。
箸置きは、”青うなぎ”をモチーフしたもの
幻の高級魚と言われる”青うなぎ”、皮がうすく、身がやわらかく、背中が
青いのが特徴で、友栄では、養殖ですが、この希少な”青うなぎ”を利用
割きたて肝焼き(たれ)、そして、生たまご
精力が付きそうな逸品(笑)、味も絶品でした
瓶ビールを注文、陶器のグラスがオシャレです
器も上品です。漬物も5種類、そして、肝吸い。
見た目から、大きく分厚い。口に入れると、ふっくらで身が柔らかい。
そして、脂っこさもなく、程よい上品な味わい。一応、山椒を少し
かけてみましたが、本来のうなぎの美味しさが逆になくなると、
そのままで美味しくいただきました。
素材の”青うなぎ”の良さと、焼き加減やタレなど、絶妙のバランスで
本当に美味いです。全国でも5本の指に入るとの評価の高い名店と言われて
ますが、納得です。
白焼き、天ぷらも美味しそうで食べてみたいので、次回、又、訪店します。
SHIMANOイケメンテスターが小田原市早川で、あゆの友釣りに挑戦!
(ついでに小田原市役所随一の釣り好き山田もあゆのエサ釣りに挑戦) - YouTube
うなぎ亭 友栄(小田原市)|トップページ (tomoei-unagi.com)