インフォメーション
七日町 ”鶴我”
会津若松から七日町方面へ行くバス、”ハイカラさん”に乗る。
*飯盛山方面は”あかべー”
そういえば、「ハイカラさんが通る」というNHK朝ドラが、1982年
主演、手塚里美さん。1987年は、映画主演で、南野洋子さん。
どちらも、こちらのバスの名称とは、関係ない模様(笑)
”市役所前”で降りて、”鶴我”さんへ。
この日は暑かったので、バスに乗ったが、歩いても10分チョットかも。
壁には、”走る馬”の絵
馬は、オシャレに”桜”といいます
予約せず飛び込みでした。カウンターが空いていたので入店
1F カウンター席 見上げるとたくさんサイン色紙
丁度正面に綾瀬はるかさんのサインがカワイイ。前回の「会津まつり」の時の
のモノで、今年も参加されるそうです。凄くきれいで、彼女目当てに多くの
方がいらっしゃるそうです(笑)
隣に、柳沢慎吾さんのサイン。横浜から、小田原の東町に引越したのが30年前
そのすぐ近所に、彼の実家の八百屋さんがあった(笑)懐かしい。
桜鍋定食 ¥1800 と瓶ビールを注文
昼食後、鶴ケ城に行くこともあり、鍋のみにする。馬刺しをつけると
さらに、間違いなく酒を追加するため我慢しました。少し大人になり
ました(笑)
先ずは、馬肉の佃煮、豆腐の肉そぼろ
馬のもつ煮
柔らかくて美味しい
馬のフタエゴ、バラ
たまご、この泡立ちは?
フタエゴは刺身でも行けるので、軽く煮て食べます。美味い!
それに、すき焼きとか、永い事食べてなかっけど、イイ味付けです。
馬ガラのスープ
今回、さくら鍋だけでしたが、次は、馬刺しや郷土料理をいただきに
寄りたいなと思います。
次回は、会津若松・七日町の”もっきり”さんを紹介します。お楽しみに!
白虎隊 飯盛山の悲劇
慶応4年8月23日、白虎隊士中二番隊の少年20人が、飯盛山で自刃しました。
会津戦争を象徴する悲劇の一つとして知られています。
白虎隊は16~17歳、新政府軍の銃撃を受け、飯盛山へ敗走。
燃え盛る城下を見て、鶴ヶ城も尋常ではないように見えます。
城に戻って戦おうという意見もあったが、途中で敵に捕らわれ生き恥を
重ねる恐れもあり、上級武士らしくここで自刃しようという結論にいたる。
武士の誇りを重んじたその決断は、悲しくも堪らない気持ちになります。
飯盛山参道・白虎隊墳墓の地入口
早朝6時頃、散歩の方多し。ケッコウな階段。隣の動く歩道に目が(笑)
左に飯盛山案内図
飯沼貞吉・自刃した20名の唯一生き残り、白虎隊の悲劇を後世に伝える
またしても、不思議な縁を感じざる負えないのだが、昭和32年(1957)
に戊辰戦争90周年を記念し飯盛山に白虎隊19士の墓と、飯盛貞吉の墓が
建立されている。実は、この年は私が生まれた年です。
白虎隊像
会津藩は、朱雀隊、青龍隊、玄武隊、白虎隊の4部隊で編制され、
年の若い白虎隊は、実際に戦闘に出る予定はなく、主に警護の為の
予備隊の位置づけでした。しかし、戊辰戦争で会津に戦場が移り
出陣命令がくだされる。
あいづっこ宣言
”什の掟”の現代版
戸ノ口堰洞穴
猪苗代湖から会津地方へ水を引くために掘られた洞穴です。
戸ノ口原の戦いで傷つき退却した白虎隊士たちが、鶴ヶ城の様子を確認する為、
この洞穴を通って飯盛山へとたどり着きました。
階段を登りきると、左手に墓が見えてきます
戊辰戦争の殉難婦女子の稗
墓正面 白虎隊 19名の墓
墓 右側 領内各地で戦死した31名の墓
イタリア記念碑
石柱はボンペイ遺跡のもの、上部の鷲はイタリア軍の象徴
ドイツ記念碑
フォン・エッツ・ドルフ(ドイツ外交官)寄贈の碑
ケッコウ、多くの人が人が散歩を兼ねて登ってくる。ある人に会津城がよく
見える場所を尋ねると、”白虎隊が自刃した跡地”へ行くと見えるとの事。
少しためらったが、ここはやはり行くしかないと決断。地元の方も散歩
コースからは、外しているようで、誰もその方角へ歩いている人はいない。
自刃の跡地
意外と近く、歩いて3分程の所にあり。眼下には会津市街がよく見えます。
そして、周りには墓地のようで、他のお墓もたくさんあります。
また、隊士像も可愛く、建っているので、ここで本当に、悲しい出来事
がと思わせられます。
会津市街と鶴ヶ城
鶴ヶ城までの距離もあり、目が悪いので、中々確認できませんでした。
昨日、城に登った時、鉄塔が目印というのを思い出しようやく確認
できました。
鉄塔の右手に、鶴ヶ城の天守閣
鉄塔、そして、城である出来事を思い出しました。
私が初めて、”城”を見たのは、母の実家の北九州、小倉にある”小倉城”。
小学校、1年生の時、兄と親戚の子と3人で”小倉城”へ、バスに乗って
行ったのですが、兄達と分かれて迷子に。たまたま、家の近所に
高い鉄塔があったのを思い出し、城からも少しそれが見えたので
その方向に歩き続けことあり。そして、なんとか家にたどり着いた
事を思い出しました。後から、戻ってきた兄が「よく帰ってこれたな」
と珍しく感心していた。私の数少ない”プチ自慢”です(笑)
城にまつわる幼い頃の思い出、会津若松でよみがえるとわ(驚)
さざえ堂なども、回りましたが、今回はパス(笑)です。
その代わりに、会津の町並みを紹介します。
バスの周遊券を買いましたが、乗ったのは1回だけ。歩きながら感じた
のは町並みが美しく、特に昔の蔵などをオシャレに改造している店が
多く、楽しくも、積み重ねた歴史が感じられます。
特に七日町、野口英世青春通り近辺はイイ感じです。
野口英世 青春通り
野口英世は猪苗代湖の出身ですが、会津若松で青春時代を過ごしている
福西本店 豪勢な商家の風情が感じられます。
会津壱番館 喫茶店 2Fは野口英世青春資料館
朝、モーニングコーヒーいただきました。
風格、そして、歴史が感じられます。
鶴ヶ城近くの和菓子屋 ”会津葵”
辛党の私は、いつも見るだけです。美味しそうでした(笑)
次回は、さくら鍋の”鶴我”、おでん・郷土料理の”もっきり”を紹介します。
鶴ヶ城(若松城)と赤べこ
会津といえば、やはり戊辰戦争。
白虎隊、最近では、大河ドラマの「八重の桜」のシーンなどが思い
浮かびます。薩摩・長州・土佐藩を中心とする新政府軍、徳川率いる旧幕府軍
との戦いです。当時、会津藩主であった松平容保は京都守護職で、京都見廻組、
新選組を配下に置いていた。京都見廻組は、坂本龍馬を近江屋で暗殺した組織
であり、新選組は、近藤勇、土方歳三を筆頭にした歴史的なファンも多く、
旗印の”誠は”幕府に誠心誠意尽くすことを表している。
その戦いは、京都の”鳥羽伏見の戦い”より始まった。新政府5000人に対し
旧幕府軍は15000人だったが、市街地戦のため、その兵力を活かすことが
出来ず、新政府の大量の新兵器に屈した。
日和見で様子を見ていた藩は、これで一気に新政府に加担し始める。また、
裏切りにて、新政府へ加担する藩も出て、幕府側は窮地に陥る。
その後、江戸城無血、会津戦争、五稜郭の戦い後戊辰戦争も終結する。
実は3年程前に、五稜郭に行っており、その時に会津若松にも機会があれば
行かねばと考えていました。そして、福島県に、この日、初上陸です(笑)
小田原より東京、そして、東北新幹線のやまびこに乗車
長閑な田園、山々の風景が心を癒します。
乗車約1時間20分程で到着予定でしたが、途中で”倒木”の為、一時間弱
停車しました。色々あるものです(笑)
お城風の会津若松駅 手前に白虎隊像、奥に赤べこ
バスの側面に”什の掟”
”ならぬことはならぬものです”。”八重の桜”の綾瀬さんが言ってたような
セリフ(笑)凛とした美しい響きです。
会津武士(上士)の子は6歳になると、居住地域ごとに「什」という組織に
入れられます。「什」と書いてジュウと読みます。什とは「十人」を一単位と
する組織のことです。会津の武士道の原点。
バスで市役所前で降り、”鶴我”さんで食事。その後、徒歩で”鶴ヶ城”を目指す。
一瞬、城かと見間違うほどの立派な酒蔵
会津宮泉 鑑評会品酒 大吟醸720ml 6149円税込み
イイ値段です。美味しいんでしょうね。いつかは飲んでみたい(笑)
試飲できます。お昼に”鶴我”さんで一杯やったばかりなので、パスしました
鶴ヶ城、見えてきました。
お堀の風景に情緒が感じられる。木々の緑も美しい
お堀の水は江戸時代に造られた用水路で、猪苗代湖より引かれている。
水量が多く、深みのある色です。
桜ヶ馬場跡
山本八重が人員検査で男装して、検査を通過したところです
本丸茶屋
北出丸の大手門 別名みなごろし丸
北出丸に侵入した敵を三方から殲滅。新政府軍も城内侵入できなかった。
鶴ヶ城 歴代城主 初代、芦名直盛 1384年、南北朝時代より
以後、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、保科正之、
そして、幕末は名君、松平容保
鶴ヶ城 別名 黒川城、若松城
鶴ヶ城の名前の由来、蒲生氏郷の幼名が「鶴千代」、また、蒲生家の家紋
に鶴が入って、縁起が良いとされたため。
豊臣秀吉は、奥州仕置きによって政宗から城を取り上げ、信頼できる蒲生氏
を入城させた。
蒲生家家紋 対鶴
鶴ヶ城稲荷神社
葦名氏が城の鎮護として祀ったとされ、鶴ヶ城のパワースポット
層塔型5重5階 地下2階
雨予報でしたが、晴天に。暑い中、ミストがありがたし。
最上階は展望台
北側 手前が飯盛山 奥に磐梯山
飯盛山 白虎隊が自刃した跡地は、細い鉄塔の方角
会津市街地、そして、会津盆地
南北に34キロ、東西に13キロの縦長な楕円形盆地。奥羽山脈、飯豊山
越後山脈、会津高原に囲まれている
松平容保肖像写真
京都守護職時代に撮った写真。20代後半の頃。
関白平
秀吉が会津入りの際に、背ぶり山で休息した場所。
※私が生まれた”羽犬塚”も、秀吉由来の地名です。
ヒマな方は、ググって下さい(笑)
伊達政宗、小田原の秀吉のもとに出向く
仙台でなく、会津からで、新潟を経由し、山梨から小田原へのルートが驚き
関ケ原の戦いのキッカケは会津だった! 上杉景勝城主時代
歴戦の武将・加藤嘉明
ご存じ秀吉の子飼衆で、”賤ケ岳七人槍”の一人
蒲生氏郷の血統が凄すぎる(笑)
妻の父が織田信長、妹の夫が豊臣秀吉、息子の嫁の父が徳川家康
上記は、展示コーナーより、いくつか抜粋させていただきました。
戊辰戦争だけでなく、それ以前にも会津が、色々、歴史の舞台に出てくる
のはやはり、名城で、名将がいた証なのかも。
次回は、飯盛山をご紹介いたします。お楽しみに!
清水といえば、まぐろですが、実はいわしも美味しい。
前回は、WBCの時に、昼ランチでお邪魔したばかりです。
丁度、その時は日米戦で、大谷がトラウトを三振に斬って取り
雄たけびを挙げ、帽子をぶん投げたシーンをここで見ました(笑)
しかし、タイミングよく”善”さんに入店したものです。
そんなこともあり、色々と”縁”を感じるお店です。
この日は、初めての夕食ですが、通算5回目の訪店です。
WBC優勝シーン ”善”にて
清水駅の江尻口へ
駅から3分程で到着
玄関の左奥の池。鯉や亀さんに癒されます
この日は金曜日。前日に予約を入れて大正解。
先ずはビール。そして、お通し。
今回は、いわしのフルコースに、プラス”一品”で予約
プラスした”海苔巻きいわし”
いつも、いわしの刺身4~5切れだけでしたが、今回は、充分に量的にも
満足できました。それに、海苔との相性も良く、堪能しました。
天ぷらの盛り合わせ
いわしのマリネ(南蛮漬け)
イワシの塩焼き
イイ塩・焼き加減で美味い
宮城 塩釜の”浦霞” 特別純米酒 ひやおろし
塩釜に行ったこともあり、最近、愛着を感じる”浦霞”。単純(笑)
徳利、お猪口ともにイイ趣きあり
ご飯、漬物、つみれ汁
ご馳走様でした。一品各々、丁寧に優しく作られています。
”善”が一杯
清水湊といえば、鮪が旨い でももっと旨い、いわしの店があったヨ
同感です。年内にもう一度、行く予定です。その際は、いわし料理以外も
色々食べてみるかな。
次回は、福島、会津若松へ行ってきます。お楽しみに!