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2023-08-14 01:57:00

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鶴ヶ城(若松城)と赤べこ

会津といえば、やはり戊辰戦争。
白虎隊、最近では、大河ドラマの「
八重の桜のシーンなどが思い
浮かびます。薩摩・長州・土佐藩を中心とする新政府軍、徳川率いる旧幕府軍
との戦いです。当時、会津藩主であった松平容保は京都守護職で、京都見廻組、
新選組を配下に置いていた。京都見廻組は、坂本龍馬を近江屋で暗殺した組織
であり、新選組は、近藤勇、土方歳三を筆頭にした歴史的なファンも多く、
旗印の”誠は”幕府に誠心誠意尽くすことを表している。

その戦いは、京都の”鳥羽伏見の戦い”より始まった。新政府5000人に対し
旧幕府軍は15000人だったが、市街地戦のため、その兵力を活かすことが
出来ず、新政府の大量の新兵器に屈した。
日和見で様子を見ていた藩は、これで一気に新政府に加担し始める。また、
裏切りにて、新政府へ加担する藩も出て、幕府側は窮地に陥る。

その後、江戸城無血、会津戦争、五稜郭の戦い後戊辰戦争も終結する。
実は3年程前に、五稜郭に行っており、その時に会津若松にも機会があれば
行かねばと考えていました。そして、福島県に、この日、初上陸です(笑)

 
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小田原
より東京、そして、東北新幹線のやまびこに乗車

 

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郡山で下車、磐越西線に乗換 ”西”は読まないのね

 

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ワンマン電車・2両 会津若松行き  

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長閑な田園、山々の風景が心を癒します。
乗車約1時間20分程で到着予定でしたが、途中で”倒木”の為、一時間弱
停車しました。色々あるものです(笑)




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お城風の会津若松駅  手前に白虎隊像、奥に赤べこ


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バス
の側面に”什の掟”
”ならぬことはならぬものです”。”八重の桜”の綾瀬さんが言ってたような
セリフ(笑)凛とした美しい響きです。

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 会津武士(上士)の子は6歳になると、居住地域ごとに「什」という組織に
入れられます。「什」と書いてジュウと読みます。什とは「十人」を一単位と
する組織のことです。会津の武士道の原点。

バスで市役所前で降り、”鶴我”さんで食事。その後、徒歩で”鶴ヶ城”を目指す。

 

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一瞬、城
かと見間違うほどの立派な酒蔵

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酒蔵 宮泉  白い長のれん、杉だまに趣あり

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会津宮泉 鑑評会品酒 大吟醸720ml 6149円税込み
イイ値段です。美味しいんでしょうね。いつかは飲んでみたい(笑)


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試飲できます。お昼に”
鶴我”さんで一杯やったばかりなので、パスしました

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鶴ヶ城
、見えてきました。

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お堀の風景に情緒が感じられる。木々の緑も美しい
お堀の水は江戸時代に造られた用水路で、猪苗代湖より引かれている。
水量が多く、深みのある色です。

 
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桜ヶ馬場

山本八重が人員検査で男装して、検査を通過したところです

 

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本丸茶屋


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北出丸の大手門  別名みなごろし丸
北出丸に侵入した敵を三方から殲滅。新政府軍も城内侵入できなかった。

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鶴ヶ城 歴代城主 初代、芦名直盛 1384年、南北朝時代より
以後、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、保科正之、
そして、幕末は名君、松平容保


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鶴ヶ城
  別名 黒川城、若松城
鶴ヶ城の名前の由来、蒲生氏郷の幼名が「鶴千代」、また、蒲生家の家紋
に鶴が入って、縁起が良いとされたため。
豊臣秀吉は、奥州仕置きによって政宗から城を取り上げ、信頼できる蒲生氏
を入城させた。

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蒲生家家紋 対鶴

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鶴ヶ城稲荷神社

葦名氏が城の鎮護として祀ったとされ、鶴ヶ城のパワースポット

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塔型5重5階 地下2階
雨予報でしたが、晴天に。暑い中、ミストがありがたし。


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最上階は展望台

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北側 手前が飯盛山 奥に磐梯山

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飯盛山 白虎隊が自刃した跡地は、細い鉄塔の方角

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会津市街地、そして、会津盆地
南北に34キロ、東西に13キロの縦長な楕円形盆地。奥羽山脈、飯豊山
越後山脈、会津高原に囲まれている


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松平容保肖像写真
京都守護職時代に撮った写真。20代後半の頃。

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関白平
秀吉が会津入りの際に、背ぶり山で休息した場所。

※私が生まれた”羽犬塚”も、秀吉由来の地名です。
 ヒマな方は、ググって下さい(笑)


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伊達政宗、小田原の秀吉のもとに出向く
仙台でなく、会津からで、新潟を経由し、山梨から小田原へのルートが驚き


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関ケ原
の戦いのキッカケは会津だった! 上杉景勝城主時代

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歴戦の武将・加藤嘉明 
ご存じ秀吉の子飼衆で、”賤ケ岳七人槍”の一人

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蒲生氏郷の血統が凄すぎる(笑)
妻の父が織田信長、妹の夫が豊臣秀吉、息子の嫁の父が徳川家康

上記は、展示コーナーより、いくつか抜粋させていただきました。
戊辰戦争だけでなく、それ以前にも会津が、色々、歴史の舞台に出てくる
のはやはり、名城で、名将がいた証なのかも。



次回は、飯盛山をご紹介いたします。お楽しみに!