インフォメーション
二条城は1603年、初代将軍徳川家康が、天皇が住む京都御所の守護と
将軍上洛の際の宿泊所とするため築城。また、1867年、15代将軍慶喜が
二の丸御殿で「大政奉還」の意思表明した場所でもあります。
徳川家の栄枯盛衰と日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城です。
東南隅櫓
天守閣は現在ないので、この隅櫓やお堀が一番城らしさを感じさせます。
右側に東大手門が見えます。東西線地下鉄二条城前駅より歩い2,3分程。
たまたまですが、逆さ櫓です(笑)
東大手門
二条城の正門で、観光客の入場用の門、堀川通りに面しています。
唐門 桃山時代 1625~1626
切妻造り(きりづまづくり)、檜皮葺き(ひわだぶき)の四脚門で、
唐破風(からはふ)をのせた二の丸御殿唐門。唐破風がのることが唐門
という名の由来。
金細工、そして、彫刻が凄い
蝶、松竹梅に鶴、亀、竜虎、そして、見えないけど唐獅子等あり。
二条城見取り図
見学時間は大雑把に回れば1時間、じっくりなら2時間程です。
私は4時頃に入場したので、閉門時間の5時に間に合うよう、一時間程で
見学を終えました。
二の丸御殿
二の丸御殿 入口
二の丸御殿 見取り図
東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の
6棟が立ち並ぶ。部屋数33室、800畳程あり。廊下は人が歩くと、音がして
”鶯張りの廊下”と呼ばれています。また、3600面の障壁画が残されている。
大広間 大政奉還が表明された 一の間48畳、二の間44畳
大きく、生い茂る松の障壁画。そして、睨みを利かす、鷹と鷲。
二の丸御殿の中でも「松鷹図」は最も有名。狩野派の若き棟梁・狩野探幽
が一門を挙げて制作したものです。
大広間 四の間 鷹
大広間 四の間 鷲
家康の”鷹狩り””好きは有名。自ら鷹を操り、70過ぎても年に50回程
出かけていた。健康の為、軍事訓練、庶民の暮らしぶりの視察を兼ねていた。
野戦に強かった要因は、家臣団の組織力や結束力にあるが、やはり、普段より
常に戦を意識して準備をし、機動力等を”鷹狩り”で、養ってきたと思われる。
その”鷹狩り”をした場所をイメージしたのが、この大広間なのかも(推)
二の丸庭園
二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から鑑賞できるよう工夫
されている。
天守閣跡より、本丸御殿を臨む
天守閣跡
かっては伏見城から移された五重六階の天守閣があったが、1750年に
落雷により焼失。
天守閣跡 より 内堀と京都市街を臨む
西橋 より 内堀と天守閣跡を臨む
天守閣の対岸の梅林より
咲き始めの梅の花を、少しだけ見ることができました。
昨年は江戸城跡・皇居の周りのウォーキング、そして、静岡駿府城、浅間神社と
めぐり、さらに年明けには、二条城と徳川家康ゆかりの地を散策。
3月末頃の桜の時期に再度、皇居周りの”花見ウォーキング”を実施予定です。
当然ながら”一杯”飲ってきます(笑)何、食べようか迷うよね、江戸は(笑)
さて、次回は、京都・食べ歩き編 です。お楽しみに!