インフォメーション
天守閣に登った後は、護国神社、稲荷神社の脇を歩き稲荷橋を渡り、外堀
より、小泉八雲記念館へ向かう。”水の都”と言われるだけあってお堀も整備
されている。
紅葉の時期でもあり、天候も良く船で”お堀めぐり”などいいのではと思って
いたら、タイミング良く船が(笑)そして、次々にやってくる。

小泉八雲記念館
そんな、お堀のそばの交差点の一角にあります
館長は八雲の曾孫の小泉凡氏

小泉八雲記念館入口
入場後、撮影禁止という表札は特になかったので、しばらくは何枚か写真を
撮りました。そうしているうちに”係の人”に撮影禁止ですと注意されました。
そういうことで、撮影した一部のみ紹介します。撮影には事前申請が必要の
ようです
オハーン氏の年表
オハーン氏の出生はギリシャです。これは、その後のニューヨーク時代の
記者時代のことのようです。 
八雲の”身だしなみ”
外出時にはスーツ、家では和服を着用
KO-JI-KI 古事記の英訳本
運命を変えた本との出会い

最初は横浜、そして、松江へ
今でも相当な距離を感じるが、横浜にない松江の魅力が彼を
引き寄せたのか?姫路からは人力車を乗り継いだとは(驚)
以上、写真撮影した分のみ紹介しました。記念館は3Fまで
あります。小泉八雲に関する歴史や情報、遺愛品など多くのことが、
この記念館で知ることが出来ます。
詳しく、小泉八雲記念館のHPでご覧ください。
https://www.hearn-museum-matsue.jp/
さて、次に行ったのが記念館のすぐ隣にある、小泉八雲旧居です。
こちらは、写真撮影OKでした(笑)

小泉八雲旧居
TVでは”ヘブン”ですが、実際は”ヘルン”と呼ばれていた
ラフカディオ・ハーンの「Hearn (ハーン)」を生徒たちに「ヘルン」
と読まれ、本人もこの愛称が気に入り、”ヘルン先生”と親しみを込めて
呼ばれることになる なぜ”ヘブン”なのだという疑問が解消された(笑)

セツ夫人と結婚後、住んだ念願の武家屋敷です
TVの”ばけばけ”見ている方は、この家や庭、見覚えがあるのでは。
ゆったり広い縁側、そして、庭もいい。TVでは”ぼけぼけ”です(笑)

風通しが良さそう、こんな家だったらエアコンなしで、扇風機で夏もOK!?
ただし、冬は”地獄”かも

書斎と机
TVでは、ヘブン先生、机を家族からプレゼントされ大喜びでした(笑)

へび と 蛙
TVでは阿佐ヶ谷姉妹がこの”役”をやってます(笑)

小泉八雲年譜
1890年に松江中学の英語教師として赴任、1891年の11月には
熊本に赴任。松江に住んでいたのは約1年3ケ月と以外にも短い。
その間にセツ夫人と出会い、「知られぬ日本の面影」を執筆している
松江が彼の日本の理解、又、人生に大きな影響を与えたのは間違いなく
怒涛の期間だったと思われる
さらに以外で驚いたのは、1874年のニューオリンズ時代に料理の
レシピ本を出している。現地の主婦に教わった料理で「ザリガニスープ」
「キューリのピクルス ウイスキー漬け」など(笑)今でも、彼の名が
ニューオリンズで知られているのをTVで見ました
彼の食への関心が強く、そして、レシピ本まで出していたとは
日本へきたのは、歴史や風習などの興味だけでなく”和食”にも充分、関心
があったと思われ、親近感が増した(笑)

食われもす八雲旧居の秋の蚊に 高浜虚子
グチにも聞こえるが、オハーン氏も私と同様、ここで蚊にさされたんだ
という八雲への愛情と親しみを込め、ユーモラスに詠んだと思われる
さて、次は楽しみにしていた”昼食”です
すぐ、近所の”神代そば”へ行ってきました

20分ほど並んで入店

手打 神代(かみよ)そば
つい先ほどまでは、ジンダイだと思ってた(笑)

三彩割子そば

ねぎ、のり、かつお節

薬味でお好みのそばに
天ぷらなどなく、自然の素材だけの”そば”もいいものだ
コシのある太めのそば(十割)、田舎風で美味しくいただきました
次回は、いよいよ、出雲大社編です お楽しみに!












