インフォメーション
6月15日、大阪万博への前哨戦で先ずは京都へ
京都で2泊して、万博会場へ向かう予定。
京都は、昨年の1月以来。辰年だったこともあり”龍”に
関連する名所の妙心寺、竜安寺に二条城を廻った。
祇園の”ねぎ焼 かな”は前回は、定休日だったので寄れなかった。
今回は、3日前に連絡し、昼一番で予約を取った。
京都駅から地下鉄で四条駅へ。ここは、阪急烏丸駅への乗り継ぎに、
また四条通へ向かう人で、大半人がここで下車。阪急の改札近辺に
コインロッカーを見つけ、バッグを収納し、祇園に向かう。
予約時間には、まだ早く、四条通の大丸へ寄り道。
見るのは、もちろん”鮮魚売り場”(笑)
京都には、各地から旬の”魚”が集まるので、見るだけで充分楽しめます。

イワシクジラの刺身

明石のタコ
年々減少傾向 今年は豊漁か!?

はも(骨きり)
京都の夏にハモはかかせない。お頭つき(笑)
はも照焼

ハモ、キス、エビ 天ぷら用
天ぷら、自分で揚げたの何年前だろうか。4~5年前かな。
これにイカを追加したら最強だね(笑)

アマダイ
京都ではグジです
金目鯛
なかなかのイイ値段、釣り金目か?
下田に金目の煮つけ食べに行こうかな。
シマアジ
秋田で食べたシマアジ、美味かったな
今日、明日の夜は先斗町で一杯、飲る予定。何が出てくるのか、今から
楽しみ。”大丸さん”いつも見るだけで申し訳ない(笑)
四条通を進み、河原町、鴨川を超えて祇園、そして突き当たるのが八坂神社。
ここから、5分程歩けば ”ねぎ焼 かな”

八坂神社 西楼門

ねぎ焼 かな 到着
渋いのれん
昭和感満載
イイ感じの招き猫。黒字になりそう


玄関開けるとすぐに椅子、そしてカウンターが12席程
隣の方、そして、焼き手の方と凄く身近に感じられる空間が魅力(笑)
料理も色々とあって、良心的な価格なのも嬉しい。

先ずは生ビール ギン冷え
冷やっこ

とん平焼き
周りはこちらの、特製だし巻きを注文している方が多かった
焼きそば
今回は、焼きそばで締めました。ご馳走様。
庶民的な鉄板焼のお店は、やはりイイね!近所にこんな店できないかな
といつも思います。
この後、久しぶりに八坂神社に参拝。そして、円山公園を散策。
さらに山手に行くと、いくつもの燈篭と山門が見えてきた。
ナント、寺名が”長楽寺”。長く楽しむとは如何に。


名前もイイが、小雨の中詫び寂びと風情が感じられるお寺でした。
詳細は割愛させていただきます(笑)
次回は、宇治の世界遺産、平等院鳳凰堂、宇治上神社へ行って
参ります。お楽しみに!
4月15日、東北桜旅の3日目は予定を変更し、宮城県の大河原へ。
予定では、秋田県の角館だったが、開花情報がまだ”つぼみ”のため
急遽変更しました。この日は、前日、岩手の盛岡にて宿泊。角館に
近いという理由もありましたが、盛岡の桜も見たかったのですが
こちらも残念ながら、”つぼみ”でした(笑)
大河原駅は仙台駅よりJR東北線に乗車し、9駅目で約30分程。
発車の際のメロディーに少し驚きました。”青葉城恋歌”かと思ってまし
たが、ナント、「パパアー、パパアー」と始まったのです。その曲は
ハウンドドッグのフォルテシモでした。大友さん、宮城県の塩竃
出身でしたネ(笑)
電車は花見の方で、ほぼ満車状態。アジア系の外国の方が多かったです。
大河原でなく、船岡で下車もあるなと検討していたのですが、船岡駅に
着いたら、アジア系の方を中心に、ほぼ9割の客が下車(笑)
何故、そんなにと思いましたが、予定通り大河原でおりることに。

JR東北線 大河原駅
実はこの日は、午後より雨予報でした。山形霞城と同様、雨の中、傘を差し
ての花見を覚悟していましたが、ほんの少しだけですが晴れ間が見えていま
した。

大河原桜まつり 一目千本桜
この日は4月15日でしたが、期間が3日程のびてラッキー(笑)

土手で花見で一杯(笑) 奥には屋台の店がズラリ
桜並木は延々と8.5kmと続いてます。人気なのはここから、3.5km
の船岡駅までのコースだそうです。土手に座って、一杯ヤリタイけど船岡まで
歩こうと決めているので、ここは我慢(笑)

この日、唯一の晴れ間です(笑)
やはり晴れて陽があたると、桜の花もより綺麗で輝く


韮神堰は工事中の看板
下の写真が絶景スポットから撮影したもの

韮神堰の桜 奥に蔵王 絶景スポット
東北で蔵王は、富士山に匹敵する存在感。写ると写らないないでは
雲泥の差あり。また、過去には大河原からこの韮神堰まで桜見屋形船が
運行していたそうです。

工事中の韮神堰

わずかでしたが、工事中でも韮神堰を楽しむ方
白石川遊歩道マップ 大河原駅ー船岡駅で3.5km
全長8.5kmの桜並木は凄い。神奈川では、秦野の桜並木が6.2kmが
一番長く、日本では、埼玉の見沼田んぼ桜回廊が20kmを超えています。

石に書いた案内表示がオシャレです
多分ですが、韮神堰は大河原町。そこを超えると柴田町なので境界の表示
を兼ねているかも。

一目千本桜
”ひとめせんぼんざくら”と呼びます。ひとめみて、千本くらい沢山の桜が
あるという意味らしい。

白石川千桜公園
この一角は、平成29年に新たに完成した公園でした。

桜と、他の春の花との競演が見事
キッチンカー

キッチンカーの奥にはさくらマルシェ と 頭上にしばた千桜橋
一時間以上、歩いたのでお腹ペコペコ、のどカラカラ(笑)

メニューの一部
石巻産の蒸し牡蠣と迷ったが、柔らかそうな仔牛の牛タンと生ビールを注文

一息ついて、次はしばた千桜橋から、船岡城址公園へ
しばた千桜橋からの風景

船岡城址より、桜並木と白石川


城址公園 レトロなスロープカー
JR船岡駅でたくさんのアジア人の降車があったが、これが目当てだった
のでは(笑)この日は、時間の都合もあり残念ながらパスしました。

船岡城址公園
明治維新まで柴田氏が居住した「船岡城」の跡地に整備された広大な公園。
山本周五郎の著を元に昭和45年(1970)に放映されたNHK大河ドラマ
「樅ノ木は残った」で全国的にも知られる。
公園内にはドラマのタイトルにもなったもみの木が高くそびえている。
機会があれば、また、じっくりと散策したいものです。

しばた桜まつりの旗 さくらの妖精がかわいい(笑)
駅までは歩いて10分程。

JR船岡駅 和風で城をイメージさせるイイ駅舎です
今回は、予定した秋田の角館に替えて、急遽、訪れた宮城の大河原の
一目千本桜と船岡城址の桜、どちらも素晴らしかった。東北の桜の名所
として、別途にランキングされている。それが地続きでつながっている
と知らず、散策しながら両方の桜を見ることができるとは。
ただ一つ心残りは、蔵王を拝めなかったことかな。
話は急遽変わりますが、今回の東北桜旅と関連する話題などあったので
紹介します。下の写真は、東京FMの”ラジオのタマカワ” 6月12日に
放送された時の写真です。

メインパーソナリティーは玉川徹、アシスタントは原千晶さんです。
そして、ゲストがナント古館一郎、秋元康さんです。
そして、次の番組”誰ハナ”のパーソナリティー、山崎怜奈さんです。
とんでもない、面子ですね(笑)
古館、秋元さんの話は長くなるし、お馴染みなのでしません。
これほどの大物ゲストが二人で来るというのは、玉川さんの人徳なん
でしょうね(笑)
さて、本題に入りますが、この玉川さん出身地が偶然でびっくり
ですが、今回の桜の名所の”大河原”です。ラジオでは宮城の田舎と
言ってた記憶有り。これだけだと、そう驚くこともないのですが
先々週に、玉川さんが山形に旅行に行った先であのまぼろしの酒
”十四代”を飲んだ話、さらに話は”芋煮会”になり、山形と宮城の
相違点を話してくれました。そして、先週は蔵王の樹氷を形成する
トド松が枯れている話を聞いた、処です。
今回の旅で、山形の居酒屋で初めて”十四代”を飲み、”いも煮”を
食べ、そして、蔵王を拝みたかったという記事に、玉川さんの話が
偶然とは言え、被ってくるとは不思議な気持ちで、ラジオを聞いた
ものです。それに”大河原”だし(笑)

今回の旅で、米沢の上杉神社に行ってますが、これもたまたま
の偶然ですが、山崎怜奈さんの”誰ハナ”で言ってましたが、友達と
山形へ行って、上杉神社に参拝したと。そして、私が2月に伊勢へ
行った後、三重県の紹介番組の特集をたまたまですがやってた。
彼女は歴史好きなので、今後も色々被るかも。
そして、早口言葉日本一決定戦、優勝おめでとう(笑)
最後に、アシスタントの原千晶さん。フリーアナウンサーですが
あの”激レア”さんに出たほどのツワモノ(笑)ナント大学入試6浪の
経験者で、アナウンサーになりました。出身は、私と同郷の福岡。
上のステッカーで顔の横に”6”の数字は、それを表しています(笑)
その性格は、大らか、悪くいえば適当で真剣さがあまりない。
いつも、玉川さんやゲストに突っ込まれています(笑)
私のオフクロがいつも、親父や兄から、同様な突っ込みを受けて
いたのを思い出します(笑)
5周年を記した、東北桜旅。実は”石巻編”があるのですが、時間の
都合により、今回は6枚ほどの写真で、簡単にご紹介します。

日和山
石巻は日和山の桜。東北桜の旅の最終日。唯一晴れた日で、桜が輝いて
いました。東日本大震災で大きな被災がありましたが、今、それを感じさ
せない明るい、元気な街でした。今後、さらに復興が進んで行くことを
お祈りいたします。
次回は、大阪万博の前哨戦の、京都編です。お楽しみに!
”6月 今月の一句” 紹介が又遅れましてすみません。
この俳句ボードを出したのが、先週土曜日、6月14日でした。
気象予報で、関東甲信越の梅雨入りが6月10日で、この先、ひと月
ぐらいは梅雨が続くと予想していました。
昨年、二宮でも、8月30日、台風10号の影響による記録的な豪雨
に見舞われました。私自身も葛川が増水し、道路が冠水している中、
途中でエンジン停止するのではという恐怖の中、自宅の小田原まで
戦々恐々と運転して帰りました。いつも、のんびりと緩やかに流れて
いる葛川が怒涛のような激しい勢いで流れ、付近の道路を全て冠水
させ、近辺住宅へも大きな被害を与えた、あの光景は目に焼き付いて
います。
そんな大雨の記憶が、今回の俳句につながっています。
中にはふざけた俳句かと思われた方も、いらっしゃるかと思いますが
上記のような大雨の被害が出ないようにと作った俳句です。
実は、6月15日より京都、大阪へ3泊4日で行ってきました。
15日までは雨で、梅雨らしい天気でしたが、それ以降は、梅雨明け
かと思わせるような快晴の天気が続いています。
6月15日 京都雨の長楽寺
6月16日 宇治の平等院

6月16日 昨日の雨でうねって流れる宇治川
6月17日 EXPO2025 夢洲
天気予報では、梅雨前線が消えているようです(笑)
雨が降らずに、夏本番で、暑い日や猛暑日が続くのも困りものです。
ほどほどの雨も混じりながら、バランスよくこの夏が過ごせればと
思います。
次回は東北桜旅、宮城・白石川堤、一目千本桜編です。お楽しみに!
鳥勝牛肉店にて、すき焼きで、極上の”米沢牛”で一杯、至福の時間を
過ごしました。
さて、次の目的地は、”上杉神社”。現在は松ケ岬公園という米沢城の跡地
にある。こちらも、山形霞城同様、夢の桜街道 八十八ヶ所 35番で
桜の名所です。残念ながら、こちらもまだ”つぼみ”でした。
開花していれば、下記のような景色が見れたのに残念(笑)
1238年 長井時弘 築城 松岬城と称す
1380年 8代伊達宗遠 長井庄を領す
1548年 15代伊達晴宗 米沢城へ移る
1567年 17代伊達政宗 誕生
1591年 伊達政宗 豊臣秀吉の命にて岩出山に移封
1591年 蒲生郷安 米沢城へ
1598年 上杉領に、直江兼続 米沢城へ 豊臣秀吉の命にて越後より
会津120万石に加増移封
1600年 関ケ原の戦い
1601年 上杉景勝 米沢城へ 徳川家康の命にて会津より移封
上記に簡単な略歴を紹介してますが、伊達家が以前は、この米沢城主であり、
伊達政宗もここで生まれている。豊臣秀吉の命にて岩出山に移封されたが、
その原因は、秀吉の小田原征伐にある。政宗の父・輝宗は後北条氏と同盟
関係にあった。そのため秀吉と戦うべきか、小田原に参陣すべきか迷い
それで、遅れて小田原の秀吉のもとへ死装束で駆けつけている。
上杉景勝も秀吉の時代は、120万石、そして、家康の時代に、米沢のみ
で30万石と、戦国時代は誰と手をにぎるか、誰の下につくかで運命が
左右された。

上杉謙信公の像
上杉景勝の父、そして、藩祖の上杉謙信。戦国時代最強の武将の一人で
その戦績は71戦中、62勝2敗8分け。その勝率は、ナント97%で
戦国武将で最強と言われる所以。「軍神」、「越後の龍」と呼ばれるほど
その戦いぶりは、群を抜いていた。

米沢城 と ゆかりの武将 伊達政宗、直江兼続、上杉景勝

上杉神社の参道の舞鶴橋に 龍 と 毘 の 軍旗
毘沙門天とは、四天 王の一つで、北方世界を守護する神であり、戦勝の神
ともいわれています。敵を寄せつけない威風堂々た る毘沙門天の姿がその
まま謙信公の雄姿と重なり、それゆえ、毘の軍旗が戦場に立つと、上杉軍は
勇猛果敢に戦いました。
武田信玄が「甲斐の虎」、上杉謙信は「越後の龍」と呼ばれたのはこの旗印
から来ています。通常は”毘”の旗だけですが、全軍総攻撃の際は”龍”の旗も
掲げ、より一層戦闘意欲を高めました。”龍”の字がくずれているのは、
「懸かり乱れ龍」と呼ばれ、突撃は龍がうねるが如く、敵前に乱入せよという
意味があったそうです。
しかし、不思議なもので、そんな旗の意味は当然知らず、この旗が風になびいて
ゆれているのを見た瞬間、胸に熱いものがこみ上げてきて、戦国の合戦の風景が
一瞬、垣間見えた。

上杉神社拝殿
武将を祀る神社は多いが、武将の姓をそのまま表してる神社は少ない。

蝋梅 と 上杉神社拝殿
今回、残念ながら上杉神社では桜を見ることができなかった。
そんな中、ふとある”ささやき”を聞いた気がした(笑)それは、来年
桜の時期に、新潟の春日山城址、そして、高田城に来るがいいと。
春日山城は謙信の居城で難攻不落の名城、高田城は徳川家康の六男、
松平輝公の居城で、その周辺に桜4000本といわれている。
”城一族”としては、やはり行くべきかな(笑)

上杉鷹山公の像
江戸時代、米沢藩の名君です

なせば成る、なさねば成らぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり
以上、上杉神社編でした。初期は伊達政宗、その後は上杉家と関わって
来た米沢の歴史を知ることができました。鷹山が行ってきた藩政の改革
等が、米沢牛、ラーメンプロジェクトに生かされてるのかも。
さて、次回は”月替わり 今月に一句”です。お楽しみに!
4月15日、山形霞城公園での桜を見終わり山形駅へ、急ぎなんとか
予定の新幹線に間に合いました。向かうは、米沢です。

車窓からの風景

残雪の山々
平地には雪はさすがにないけど、山々にはまだ、かなりの雪あり。
そして、山形駅より30数分程で、米沢駅に到着。

山形県全体図
この際なので、山形県と米沢について少し学習します(笑)
置賜地域・・・米沢・南陽市等
村山地域・・・山形・上山・天童・寒河江・村山・尾花沢市等
庄内地域・・・鶴岡・酒田市等
最上地域・・・新庄・最上・真室川町等
米沢は福島・新潟に隣接
福島へ行く会津米沢街道、さらに新潟へ行く越後米沢街道、そして
県内の最上へ行く米沢街道があり、歴史的にみても要所だったのが
分かる。これは、上杉家の移動に関係している。
上杉謙信はもともとは、新潟・越後の大名。上杉景勝はその養子で、
豊臣秀吉の信頼を得て、五大老になるが、加増転封にて、会津へ
移動を命じられる(会津藩120万石)。しかし、秀吉が死んで
関ケ原の戦いへ。景勝は西軍に参加したが、敗北。そのため、
会津より転封処分にて、米沢へ(米沢藩30万石)

織物のまち 米澤

JR 米澤駅
JR米沢駅 端の方には雪かきにて、寄せて積み上げられた雪山
山の残雪で相当な積雪があったと判断できたが、平地で、それも駅で
これだけのものが残っているとは驚きでした。
予約している”鳥勝牛肉店”までは、歩きで20分以上、時間も押して
いたので、タクシーにて向かう。




2Fの客室
他に、同様な和室が3、4室あり。一日限定5組で事前予約制です。
大きな将棋の駒に”米沢牛”が山形らしい

米沢牛すき焼き150g 4400円コースを注文
コロッケやメンチも注文できます(笑)
デカイ米沢牛が3枚

先ずはビール
すき焼き食べるの何十年ぶり
記憶にあるのは、こま切れみたいな肉でした(笑)
こちらでは、肉を先に入れずに、蒸すように他の食材の上にのせるのが
ポイントです。先に入れると肉がボロボロになるようです。
いい色合いで焼けてきました

デカ、ウマ、トロける 最高!
肉はA5ランクでもちろんだが、たれも、たまごも美味い。
それに、野菜、豆腐、しらたきも(笑)


追加で、日本酒
〆はうどんをいただきました。
鳥勝牛肉店は、大正7年創業、米沢牛の一頭買いにこだわり、A5,A4
ランクの米沢牛をリーズナブルに提供されています。先ずは、米沢牛を
地元に愛され、さらに、全国に届けられる店へ。そんな思いが、伝わる
暖かさ、同時に品質にこだわりのあるお店です。
機会があれば、また、是非伺いたいと思います。
次回は、米沢・上杉神社 編です。お楽しみに!














































