インフォメーション
駿府城 巽櫓・東御門 と葵船
駿府城公園 の 徳川家康公像
家康公は人生の三分の一を駿府ですごしています。
今川家の人質時代 8歳~17歳
五か国統治時代 45歳~48歳
大御所時代 66歳~74歳
今回は駿府城と所縁のある静岡浅間神社を、じっくりでなく、サラリと
散策して見ました(笑)梅雨の晴れ間で、昼間はすでに30度越え、
過酷な状況の為、朝一番にて、5時頃より散策スタート。
そして、駿府城は二之丸橋より、中央を突破する形で北御門から
深草御門へ出て、それから長谷通りより静岡浅間神社に参拝致しました。
駿府城ジオラマ 外堀、中堀、丸堀の三重です
現在は丸堀は完全に埋められており、外堀も大半が埋められています。
駿府城二之丸橋 中堀
写真右側の建物が県庁。その奥が県庁別館。
駿府城天守台発掘調査現場
調査にて、天守台は西辺約68m、北辺61mが確認されました。
江戸城の約、1.5倍。面積は約2.25倍。日本一の天守台です
ただし、天守はそう大きくは無かったようです。
葵船チケット売り場
北御門橋 中堀
中堀
ここを左に曲がり、葵小学校の脇を右折して、深草御門に向かう
深草御門 外堀
京都の学生時代、伏見区深草に大学があったので、不思議な懐かしさあり
長谷通り この道行けば浅間神社に
神戸神社・浅間神社 総門
総門の右手には”叶え馬”
祈りを捧げれば何でも叶うと言われています。
力神、そして獅子
他に麒麟、鳳凰、虎などの彫刻あり
水吞み龍 金泊 1000枚使用されています
桜門全体では22000枚の金箔が使用
舞殿
早朝より参拝の方も、ケッコウ多い
大拝殿は神部浅間両神社の拝殿で、楼閣造り
楼閣造りの代表的なもので、高さ25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。
小彦名神社
古来、医薬の神として、薬業関係者や病気平癒を祈る人の参拝が絶えない
玉鉾神社
学問成就・合格祈願にご利益があるとして有名
家康公と浅間神社にまつわる話
着始の腹巻(甲冑)、勝瓢、軍配、太刀 長船長光、叶え馬など
家康公のゆかりの物が神社に奉納されています。
静岡浅間神社の七社参り
七社全てお参りすると万願叶うと言われています
静岡浅間神社 境内図
残すところ階段を登る麓山神社と大歳御祖社の2社です
百階段
浅間神社、唯一の難所
百階段
高所恐怖症の方は後ろを見ずに、登った方がいいかも(笑)
休み休みで、取り合えず何とか登る。息切れが凄く歳を感じざる負えない。
麓山神社
山の恵み、水利、田、衣食住全般を守護される神
この先に、もう神社は無いが、ここで折り返す人は誰もいない。
取り合えず、先へ進む。
左方向、木々の間より見える安部川
さらに先を進む。どうやらこの辺はハイキングコースになっている模様。
右手方向に、駿府城、そして、静岡市街、さらに駿河湾と伊豆半島
これは、絶景です。天気もいいし、空気も美味い。
さらに進むと、右手方向に富士山
しかし、富士山を見ると心が癒される。感謝です(笑)
ラジオ体操の音楽と体操風景
広場があり、約20数名の方たちが、まさかのラジオ体操。
そういや、こんな風景、二宮の吾妻山でも見た記憶が。
B29墜落搭乗者慰霊碑
浅間山毎日登山の会
ラジオ体操されていたのはたぶんこちらのメンバー。この辺りまでが
浅間山で、この先は賤機山(しずはたやま)、標高171m。
「シズオカ」の「シズ」の由来と言われている。
麓山神社を通り抜け、先に行かれるのがようやく理解できました。
健康とコミュニケーション、神社参拝、そして富士山も拝めれば
長生きできそうですね。
そして、下山。
どうする家康 静岡大河ドラマ館
残念ですが、ドラマ2~3回見ましたが、私個人の家康や秀吉のイメージが
壊れるので、その後は見てません(笑)
大歳御祖神社 神門
浅間神社商店街
夢門前 てくてく家康旅
家康公が愛したまち静岡
浅間神社商店街入口の鳥居 600mの門前商店街
朝7時半頃で開店前でした。営業時間帯に行けば、ものすごく
楽しめる商店街かと思います。有名な、どら焼き、おでんの店も
あるようなので、次回、又、機会があれば伺いたいと思います。
今回は駿府城の一部区画と、「おせんげんさま」の7社巡りに、
+叶う馬 +富士山と拝んできました。きっとご利益あるかと
思います(笑)それに、家康公が愛した静岡の良いところが、
少しですが、分かったような気がすると同時に、静岡の人が
家康公を敬い愛されてるのを強く感じた次第です。
次回は、行列のできるマグロ丼の人気店、”清水港 みなみ”へ
行ってきます。お楽しみに!
日本橋 焼き鳥 とり慶
登じまさんを出て、馬喰横山駅に向けて歩いていると、
上記の暖簾見えたので、覗いてみる。店は地下にありました。
ちょうど、祝一周年らしく玄関前は、胡蝶蘭で一杯。
これだけの花が届くという事は、贔屓のお客さんが、かなりの数
居られるのが想像できる。
店内はお客さんで、賑わっていたが、運よくカウンターが一席
空いてたので入店。こういう時は”一人”はイイ(笑)
そして、席に実際座って、みると良く分かるが、カウンターの
スペースが充分に広いので、”焼き鳥”屋というより、少し高級な
小料理屋の雰囲気。
メニューの冒頭に、大将からの挨拶文
食を通して、”慶び”を提供し、笑顔や感謝を大切にした商いを続けたい
という店の方針が良く分かります。そして、この挨拶文、以外のメニューも
全て、奥様の手書きだそうです。
奥行のあるカウンター席、ゆったりと飲み食いできます
予約してないけど、鴨串、運よく頂けました
鴨モモ
鴨かわ
ねぎ焼き
鴨とネギの組み合わせは、最高(笑)美味しかったです。
極みの日本酒ボトル あの黒龍です こだわりを充分感じます
前の店で”黒龍”いただきましたので、今回はパス(笑)
熟成古酒 天草 熊本
平成9年(1997)製造の米焼酎、2023年なので26年ものです
天草は昨年行ってるので、懐かしさもあり、一杯いただきました
球磨川流域でないので、あくまでも”天草”焼酎です
熟成古酒 天草
香りよく、力強く、コクと旨味が感じられる”逸品”です
ロックでいただきましたが、自然とお冷も出してくれる、そして、
氷は製氷機からのでなく、ロックアイス使用。
提供するお酒だけでなく、こうした心遣いや拘りが感じられる
”イイ店”です。
蛍イカの串焼き
焼き北寄貝
鳥だけでなく、旬の魚介、野菜等も食できるのは嬉しい限り。
普通の 串焼き と珍味串
これだけの種類が出せる店は、そうはナイ(笑)
ちょうちん
見た目は、チョット引きますが、甘くて、とろっとして美味い!
カウンターのフクロウ、シマエナガが可愛く、癒されました。
暖簾だけを見て、飛び込みで入店しましたが、こだわりが感じられる
イイ店でした。誠実な大将、そして、美人の奥さんと二人で切り盛り
されていましたが、一周年であれだけの”花”が届くのも納得です。
次回は、駿府城のある静岡へ行ってきます。次回もお楽しみに!
日本橋 炭火焼 登じま
この日は、金曜日でした。神保町近辺で美味しい”焼き鳥屋”が
ないか、夕方5時頃、いくつか電話で当たってみたが、何処も
予約で埋まっていた。そんな中、ふと地下鉄で近所の駅名を
見たとき、”はっ”とする駅名がありました。
それは”馬喰横山”。日本で一番と言われる衣料・雑貨等の問屋街
です。日本橋馬喰町と日本橋横山町の2つ名が由来です。
大学卒業後、就職したのが繊維・アパレル業界だったこともり
懐かしくも、インパクトのある”馬喰横山”で店探しをする事に。
焼き鳥屋で探す中、”うなぎ”もやっておりクチコミ等もイイ感じ
なので、電話もせず直接訪店。時間は5時半頃、店に入ると割烹着
の女将さんが出て来て『予約で一杯ですが、1時間程なら大丈夫』
とのことで、交渉OK。
お刺身、まぐろ、たい、アジ、イカ 美味い
表面が銀色のが”アジ”。こんな”アジ”は普通ない。
女将さんに『良いアジだね』って、言ったら、微笑んでくれました。
もともとは うなぎ屋さんカモ
福井 黒龍
大好きなお酒です コレを置いてる店は、コダワリのあるいい店多し
大山鳥 レバー
大山鳥 モモ
焼き鳥は値段もイイけど、味もイイ !
うなぎのタタキ(小)
うなぎにおろし合いますね サッパリと濃厚で美味しい
冷酒 追加 名前忘れました(笑)
〆は アオサの味噌汁
値段もイイけど、雰囲気、客対応、そして、味も良いお店でした。
となりには、会社の飲み会風のグループが2組程いましたが、どちらも
楽しそうでした。ここの料理だと、会話もお酒も弾みそう(笑)
ほぼ、一時間ほどになったのでお会計。
次回は、同じく日本橋の”とり慶”編です。お楽しみに!
6月半ばになり、梅雨らしい日々が 続いてます。
しかし、なぜ”梅”なのか? これは、江戸時代に
中国から伝わった ようで、梅の実が大きく熟する
時期の ”雨”から来ているとの事
そういや、スーパーに梅酒を造る 容器などたくさん
並んでた な
6(ロック)月です、ぶっ飛ばして 行きませう!
先月は、皇居(江戸城)一周ウォーキングにて
江戸城築城が1497年であり、私の生誕したのが
その500年後の1957年であること、そして、
私が大学時代を過ごした、強い縁を感じる
京都・伏見の伏見城を移転させた、伏見櫓の
存在を知り、さらに驚いたものです。
思い起こせば、昨年秋、明石(兵庫)の料亭旅館・人丸花壇に宿泊
徳川家の家系図
左、上部に家康の名、そして、中央下部に恵子(人丸花壇)とあります
松平家より嫁がれた”女将”(恵子)さんです
長くなるので、詳細は、インフォメーション、2022(12)にてご覧ください。
世の中には、たまたまって良くあることなんですが、不思議な”縁”や”出会い”
が”時空”を超えて、ケッコウあるなと感じる、今日、この頃です。
さて、今月は、”まぐろといわし” を食しに静岡・清水方面へ行ってきます。
この時期の”いわし”は美味しいですからね。さらに、徳川家との”縁”も
又、深まるかも!?(笑)
そして、次回は東京、日本橋で焼き鳥で一杯、はしご酒です。お楽しみに!
皇居ラン ではなくウォーキング
皇居の周りをランニング。都会的かつ健康的で、オシャレを感じます。
走るのが大嫌いな私なので、当然ながら、自分には関係ないモノだと
思ってました。それに、皇居なので、近づくのも恐れ多いと。
ある時、ラジオで皇居ランの話が出て、”ランナーの聖地”と呼ばれて
いて、凄く気分良く走れる”コース”だと感じました。これは、一度は
行って見るべきで、ランでなくウォーキングでイイじゃんと、それに
元、江戸城なので、”城一族”としては行かねばなるまいと(笑)
東京には、約7年程居住、勤務(渋谷、新橋)も20数年していたが、
皇居に行った事は無く、東京駅構内はあっても駅外に降りたこともない。
営業車でこの近辺を、幾度となく通ったことはあるが、通り過ぎる
だけでした。この場所に、得意先や営業に行くこと普通ないから(笑)
そんな訳で、”皇居一周、ウォーキング”となりました。
東京駅 丸の内南口のドーム
1914年に完成した東京駅丸の内駅舎は戦争による爆撃で被災し、2階建てに
変更する形で復旧。さらに、2007年から5年余の期間を経て、2012年に、
創建当時の姿を取り戻した。北と南にあるドームの天井には、ワシのレリーフ
その下には十二支ではなく、八支のレリーフあり。レリーフの辰と巳の壁には
黒い部分があるが、これは当時の壁材が使用されている。(上記写真、左側)
この芸術的なドームに感心しながら、リュックを預けるロッカーを探すが
見つからない。駅舎を出ると、警察の方がいたので、これ幸いと尋ねたら
冷たく「ないです。」の一言だけ。愛想も〇〇も無し。
そうです、この日はG7の時期で東京駅のロッカーすべてない日でした。警察の
方からは、浮かれ気分の社会情勢もわかっていない旅行者に見えたかも(笑)
駅前広場も新しく、生まれ変わり、驚嘆の広い歩行空間
バス、タクシー等の乗り場を移動させ、景観を重視した新たな空間
駅前広場から、行幸通り、皇居へ向けての景観
緑の芝生が、シンプルでイイ感じでオシャレ
上記の地図で、昔は駅舎前がロータリーだったのが分かります
和田倉壕
和田倉噴水公園 右手、手前の建物は”スタバ”です
桔梗濠 桜田巽櫓
桔梗門
皇居一周コース 全長約5km
5kmは歩数にすると約8000歩で、程良い距離です。
衝突トラブル等がないよう、基本、反時計周りに進行。
歩行時間は90分程です。
花の輪案内
全国都道府県47+3 でトータル50。100mごとに各県の代表の花の
プレートがあり、コース位置の目安になっています。北海道から始まり
沖縄まで。
沖縄 ディゴ
ちなみに、北海道だと”はまなす”。コースを回ることで、全国を旅したような
楽しい気分になるかも(笑)残念ながらどちらも見た事ないです(泣)
次は何県で、何の花か想像しながら歩くのも楽しいかも。
まずは桔梗門近辺よりスタート
つつじが綺麗で癒されます
しばらく歩くと、大手門に
全国300の大名や諸侯が、この門より入場し、三の丸、二の丸を経て
本丸に登城。大手門をくぐれば”皇居東御苑”で一般開放されています。
大手濠 風が心地よい
右手に消防庁
日本の道 100選 内堀通り
昭和61年に、『城郭と高層ビルの道』として選定
平川門 地下鉄竹橋駅を出たところにあり
平川橋 木製の橋
平川門は御三卿、大奥の女中の出入り門でした。春日局が門限に間に合わず
入れてもらえなかった門。そんな昔から門限があったんだ(笑)
1457年 江戸城築城 上杉氏の家臣 太田道灌により築かれた
築城の年より、丁度500年後、1957年に生誕したのが私です。
たまたまとは言え、何か運命的なモノがあるのかも(笑)
竹橋手前の案内板
日本で一番歴史のある毎日新聞の本社が近所にあり
1872年に、東京・浅草で東京日日(とうきょうにちにち)新聞として誕生。
国立近代美術館
北桔橋門(きたはねばしもん)
はね橋の名の通り、昔は緊急時用に使われていた。石垣が高く、18m程あり
江戸城跡が実感できます。門を入れば、すぐ天守台です。
代官町通り沿い 土塀が続き風情あり
半蔵濠 そして、桜の名所・千鳥ヶ淵
次回来るとしたら、やはり、来年3月下旬かな
遠くに半蔵門
千鳥ヶ淵公園 案内図
公園内の桜の種類、そして、どこにあるのか記号で表示されています。
ソメイヨシノは東京の都花、サトザクラ、マイヒメ、ベニシグレ
と写真付きで親切な案内です。
千鳥ヶ淵公園の桜の歴史
100年以上前、英国大使館の駐日英国公使アーネスト・サトウ氏が大使館前に
桜を植え、それが今の千鳥ヶ淵の桜へと繋がっていった歴史あり。
半蔵門
江戸城の御門は地名や川の名から付けられていますが、ここだけが人の名前です。
伊賀上野、忍者服部半蔵は有名で、最初は忍者の統領。松平氏の頃より仕えて来ており
長年、攻守に活躍し、徳川家を警護してきた実績等で武将に。
又、地下鉄半蔵門線は渋谷駅から墨田区の押上駅を結び、半蔵門のソバを走るので
その名称になっている。
半蔵門 桜田濠
内堀通りの向こうには、東京FM,その隣にワコールの麹町ビル
東京FMは良く聞いています。放送時に半蔵門にあると聞いてましたが、半蔵門が
直接見える場所、対面にあるとは驚き、見晴らしも良さそう(笑)
桜田濠 これはいい眺めです。下りなので気持ちよく走れそう。
国立劇場
つつじ そして、警視庁
三宅坂
246号線(青山通)のスタート地点です。渋谷勤務時代はこの通り沿いに
会社がありました。
又、20号線(甲州街道)は、半蔵門で左折し、新宿を通り多摩、八王子、山梨へ。
営業先が多摩地区が多かったので、この2線は、本当に良く走った記憶が(懐)
桜田門が見えてきました
桜田門
1860年、江戸幕府の大老・井伊直弼が殺害された”桜田門外の変”
霞が関中央官庁案内
霞ヶ関と言えば”官庁”だが、こんなに密集しているとわね。
手前から 正門石橋 正門鉄橋(二重橋) 伏見櫓
二つあるから二重橋ではなく、鉄橋の構造が二重だから。
驚いたことに、伏見櫓は京都の伏見城から移転したもの。
芝の上でのんびり昼寝もイイ感じ
行幸通りで準備ラン
皇居(江戸城)一周ウォーキング、本日、歩いて見て良かったと思います。
特に東京駅前の広々した歩行者空間が素晴らしく、より皇居周り散策への
期待感が高まりました。さらに、今回は皇居内へは、一歩も入る事は無かった
けれど、逆に下調べが出来、より皇居への関心が強まりました。
特筆すべきは、江戸城築城500年後に、私が生まれたこと。さらに驚いたのは
京都・伏見の伏見城より移転させた伏見櫓です。
徳川家康は伏見城で征夷大将軍の宣下を受け、以後三代徳川家光公まで、
伏見城で将軍宣下式を行っています。
”伏見”というのは、私のキーワードで、大学時代に過ごした”場所”だけでなく
同時に、自分の人生に大きな関わりを持っています。
話せば長くなるので、もし興味があるようでしたら、インフォメーションで
2023(2)、2022(11)を読んでみてください(笑)
”城一族”としては、早い時期に、皇居内の散策を実行すべきですが、やはり、
ベストな時期としては、来年3月下旬となりますのでご了承ください。
次回は、月替わりマルチボードになります。お楽しみに!